相当昔、小学校3年生の時。
学校が終わって仲良しのマリちゃんと遊んでいました。
遊んでいるうちになんとなく具合が悪い。
熱っぽい気がするなぁと思いながら楽しいからやめずに遊んじゃった。
その日の夜に症状が出たかまでは覚えていないのですが、溶連菌感染症にかかっていました。
とにかく辛くて眠れなくて、親が不憫に思ったのか気を紛らわせる為に枕元にラジカセを置いて音楽を流してくれたのを覚えています。
ラジオから録音した曲だったみたいで、色んな人の曲が流れるのですが、ものすごい暗い曲がその中に紛れていて、その歌を歌っている歌手になんの罪もないのですが、しばらくその有名歌手の方が嫌いでした。
思い出しちゃうんだもの。
本当に辛くて学校は1週間休みました。
でも何がどのように辛かったかは覚えていなくて、つい最近母に「私は一体何に苦しんでいたのか」と聞いてみたら、「口の中がただれて大変だったんだよ」と。
鮮明な記憶の様で言われても思い出せないのが不思議。
辛かったけど、日中の辛さは思い出せないし子供の頃の記憶なんてそんなもんかとも思いますが、マリちゃんにうつしてしまっていたんです。
マリちゃんは数日休んで学校に行けたのを覚えているので私よりは症状が軽かったらしいです。
小学校3年生の時に仲が良かった記憶があるのですが、4年生の記憶がないです。
同じクラスなはずなのに、マリちゃんを思い出せないのは転校してしまったのかな?
母が覚えているか今度聞いてみよう。
1年くらいお友達だっただけかもしれないのに、おうちも覚えているし、マリちゃんのお母さんも覚えています。
マリちゃんのフルネームも分かる。
本当にしっかり者で優しくて、うつした私に対して責めたり一切しなかったと思います。
申し訳ないという気持ちは今でも消えません。
ちゃんとあの時私は謝れていたのだろうか。
思い出したのはコロナの影響もあるけど、新聞に昔と比べて治療が楽という様なことが掲載されていて昭和の子供は大変だったわよと思ったからでした。
幼稚園の頃の水いぼの治療も大変だった。
病院で看護師さんや母など4人くらいに押さえつけられて先生に水いぼを潰された記憶が。
痛いは痛いんだけど、幼稚園ながら気に入らない気持ちのほうが強くて無駄だと分かっていながら泣き叫んだけどやっぱり無駄だった(^_^;)
今は水いぼを潰さないという選択肢もあると聞いた時も昭和の子供って。。と思ったっけ。